黄ふくろう日記

大好きな事なら超続けられる…でも大好きな事は毎日入れ替わるよ♪

「詳しいことは分かりませんでした」という本

石井暁_自衛隊の闇組織















 これは結局、自衛隊の内部に存在すると言われる「別班」について調べてみましたが、詳しいことは分かりませんでしたということを長々と綴っているだけの本です。色々と苦労したそうですけど、成果がなくても本が出せるんですねぇ。

 少なくとも日本政府は、「別班」という組織を公式に認めたことは一度もありません。噂では1950年代、米国の指導によって自衛隊に情報活動の専門部隊が作られたことをきっかけとして「別班」が置かれたと言われていますが、その存在を示す証拠がまるで公開されていませんし、別班のメンバーだったと言われる人たちの証言もあやふやで、あまり信用できません。

 そもそも現下の日本において、自衛隊内に情報活動の専門部隊を作ったとしても、どこに派遣し、活動するというのでしょうか。はなはだ疑問と言わざるを得ません。しかも証言によっては、レンジャー部隊やスパイ活動の訓練などが別班で行なわれたというんですけど、そんな訓練を実施したところで、どこで披露する機会があるというのでしょうか。もし本当にそんな訓練を行なっていたというのなら、間抜けもいいところです。

 こういう話は、匿名の関係者へのインタビューによって構成されることが多く、客観的に検証することができなくて困ります。たしかにそれが真実であれば、なかなか興味深いものがありますが、やはり証言は、どこまでいっても証言にすぎません。

 むしろ私たちが示してほしいのは、その証言をきちんと裏付ける証拠です。具体的な根拠を示すことなく「俺は見てきた」、「俺は知っている」というだけの与太話は、これまでにも数多く聞いてきました。いい加減、その証拠を出してほしいわけです。

 あるいは、証拠が出せないというのであれば、せめて実名で語ってくれる人物の証言を使ってほしい。どこの馬の骨とも分からない人物の話を一方的に並べられても、こちらはただ、「そうなんですねぇ」と黙って聞くしかないわけで、そこから先の真実に迫ることができません。

 とはいえ、もし「別班」という組織が存在するとすれば、スパイ工作を目的とした専門部隊というよりも、通信傍受の専門部隊として存在した可能性はあるかもしれません。それというのも内閣調査室の歴史をひもとくと、発足当初、通信傍受部門を作る動きがあり、人材の調達もひそかに行なわれていたからです。

 しかも別班は、防衛庁ではなく内閣府に置かれていたと言われているので、通信傍受の専門部隊というよりも、ホワイトハウス内にある「シチュエーションルーム」のような位置づけの組織だったのかもしれません。また、その文脈から考えると、在日米軍との協力があったことも腑に落ちやすいでしょう。

 この問題に関心を持つ人は、そういう方面からアプローチすることをおすすめします。おそらくその方が、より真実に近づきやすいのではないかと思いますね。


ハロウィーンの付和雷同ぶりに呆れる

 

 昨日はハロウィーンということで、一部の人たちは盛り上がっていたようですけど、街中で暴動が起きて、警察が出動しなきゃいけないようなものをイベントとして持ち上げるのは、正直に言っていかがなものかと思いますよ。

 仮装して街へ出て、目抜き通りを闊歩するまでは百歩譲っていいでしょう。しかし、聞くところによれば、盗撮や痴漢行為を働いたり、店の商品を盗んだり、店舗の一部を壊したり、橋の上から川に飛び込んだり、やりたい放題、暴れている連中がいるわけでじゃないですか。あんなの、イベントだからといって放っておいたらイカンと思うわけです。

 それにハロウィーンなんて、おそらく日本人として普通に生活していたら、何の縁もゆかりもないものでしょう。そうであるにもかかわらず、みんなが騒いでいるから自分も騒ぐという付和雷同、この上ない、没個性的な発想の貧困さは一体、何なんでしょうか。

 ゆとり教育の目的は、学生が各々の個性を伸ばして生きる力を身に付けることにあったはずなのに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を地で行く光景がテレビ画面に映ると、こういうところでもゆとり教育の失敗を垣間見ることができるなぁと、妙にしみじみしてしまいます。

 ぼちぼち誰かがきちんと叱ってやる時期だと思いますよ。警察も「DJポリス」とかぬるいことをやってないで、いざとなったら威嚇発砲したり、放水車で暴徒を制したりするくらい、高圧的な態度で臨まないと、あの連中、数に頼んでどこまでも増長しますからね。かりに警察がそうしたとしても、それほど世論は反発しないでしょう。

 もちろん、子供が幼稚園や保育園で仮装して遊んだり、商店街でそういうイベントを開いたり、企業も普段と違って一風変わった試みとして、ハロウィーンを楽しむのは何の問題もありません。日本人として何の縁もゆかりもないイベントですけど、遊びとして見る分にはやぶさかではないですし、そこまで狭量じゃありませんから。


サンフランシスコ体制への道を考えるシンポジウム

 10月15日、日本国際問題研究所が主催したシンポジウム「サンフランシスコ体制の形成 ~占領から講和へ~」の模様を記録した動画がアップデートされていたので、ここに貼っておきます。

 動画を貼ったからには、触れておかないといけないことがあるんでしょうけど、ちょっと取り込んでいて動画をきちんと見ていないんです。したがって、いずれまた、気が向いたら内容をチェックして、色々と考えるようにしたいと思います。







コウモリ外交の行き着く先にあるもの

鈴置高史_米韓同盟消滅















 古代から日本は、どのように朝鮮半島と付き合っていけばいいのかという問題をめぐって悩み続けてきました。隣国だから仲良くすべきだという意見もある一方、民度の低さを理由に深入りを避けるべきだという意見もありました。

 果たしてどちらが正しいのか、必ずしもその答えが出ているわけではありませんが、少なくとも歴史をひもとくと、深入りしない方が日本にとって幸福なことが多かったと言えそうな気がします。

 現在の朝鮮半島も、日本にとっては悩みの種のひとつです。北朝鮮の核ミサイル開発が進み、いよいよ身内さえも手にかける独裁者が日本に到達可能な核ミサイルを持ってしまったのですから、その脅威は非常に深刻と言わなければなりません。

 そこで日本は、地理的に近い韓国と協力し、北朝鮮の脅威に対処することが必要なのですが、韓国が米中両国の間で彷徨し、その立ち位置がまるで定まっていません。

 日本は米国と同盟関係にある以上、東アジアでの利益を米国と共有し、その実現に向けて日米両国で協力しながら対処することになります。ところが韓国は、米国になびいたり、中国におもねったり、日本にかしずいたり、国家戦略のベクトルをあいまいにしたまま、いわゆる八方美人的な外交を繰り広げています。

 八方美人的な外交は、最後には誰からも信頼を失い、八つ裂きのようにして身を滅ぼします。自分たちは「コウモリ外交」を気取っているのかもしれませんが、何かを天秤にかけるときは、自分がつねに天秤にかけられる側よりも優位に立っていることが前提です。

 韓国の国力を考えれば、日米中よりも劣位であるし、その劣位を挽回できる立場にもないことは明らかでしょう。つまり本来、韓国はコウモリを気取って大国を手玉に取るような外交は望めない国であることは、はっきりしているわけです。

 それにもかかわらず、韓国は身の丈を知らないまま、自意識だけを肥大させ、今まで後ろ盾になってきた日本や米国の信頼を裏切り、日米と戦略的な利益の面で対立する中国にすり寄りました。

 しかし中国もまた、韓国に対して格下扱いであり、韓国が中国の利益や面子を損なう行動に出たときは、厳しいしっぺ返しを食らわせます。その点で韓国は、どこまで行っても東アジアでは、セカンド・パートナーとしての役割を脱しきれないのです。

 この厳然とした事実を受け入れようとしないで、自分たちにとって都合のいい未来や願望ばかり思い描いたツケが今現在、韓国に降りかかっているというのが、この本の基本的な主張です。その内容は、おおむね同意できるものです。

 もちろん、タイトルにある「米韓同盟消滅」は、現状の行き着く先として著者が象徴的に述べているのですが、個人的な印象としては、多くの専門家の分析に反して、著者と同様、その可能性は決して低くないと見ています。

 そもそも韓国は、米国にとって戦略的価値の乏しい国ですから、韓国の出方によってはその信頼が地に堕ち、米国から三下り半を突きつけられるおそれがあるということは、韓国自身がもっと強く自覚すべきだと思いますね。


最大の貢献は「品位」をもたらしたこと

 

 昔から卒業ソングに興味がなくて、卒業するメンバーやその人を推しているファンにとっては思い入れがあるのかもしれませんが、まぁ、そういう思い出作りのような意味以上のものはないだろうという印象があるんですね。

 今回の「Y字路の途中」も、はるなん(飯窪春菜)の卒業に合わせた楽曲で、人生の岐路をテーマにした内容です。そのテーマ自体は、こういう卒業ソングでは定番ですし、実際、そういう楽曲は掃いて捨てるほどありますから、今さら取り立てて何か言うべきことはありません。

 ただ、この楽曲によって、改めてはるなんの存在の大きさについて思いを致すところがありますね。研修生出身がハロプロの趨勢を占めるなか、はるなんはオーディションからメンバーになり、歌もダンスも不得意で当初、その下手さ加減を周囲からいじられたりしていました。

 それがいつの間にか、ダンスで悪目立ちすることもなくなってきたし、歌もソロはけっして多くなかったですけど、前に比べて随分、良くなっているじゃんとファンの誰もが認めるレベルにまで成長しました。

 そして多くの人が、ラジオで鍛えられたはるなんのトーク技術を褒めるでしょうし、彼女自身、そこに活路を見出したという部分もあるでしょうですけど、個人的に見逃すべきでない彼女の貢献として、「品位」というものをモー娘。にもたらしたことが挙げられるのではないかと思うんです。

 正直、それまでバラエティー番組ではわりとガサツなイメージがあったモー娘。でしたが、彼女が入ってトークを回すようになってから落ち着いたムードが全体的に生まれた気がします。もちろん、面白おかしくやるし、はしゃぐときははしゃぐし、ふざけるときはふざけるんですけど、どこか一線、引いているという感じでしょうか。

 でもそれが、モー娘。に大人の要素を含ませることにつながって、わちゃわちゃするだけでなく、しっとりとした印象を見ている人に与えました。はるなんは、そういう雰囲気をもたらしたという意味で不可欠な存在だったと思うわけです。

 今回の楽曲のMVを見ても、はるなんがオーディション時に語ったとされる「モーニング娘。をオシャレにしたい」という言葉が今もなお、生きているように感じます。その点で、このMVは実にはるなんらしい映像になっていると思うのであります。


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