スージー鈴木_1984年の歌謡曲
















 この本のなかで著者が言いたいのは、「1984年」という年は音楽シーンにおいて、①歌謡曲とニューミュージックの対立から融合、②シティ・ポップの誕生という現象が見られたということに尽きます。

 歌謡曲とは何か、ニューミュージックとは何かという定義から語り出したら、これはもう大変なことになります。しかし、著者の区分けを本文から注意深く読み取ると、要するに、専門教育を受けた職業作家が手掛けたものが歌謡曲であり、専門教育を受けていない素人上がりのミュージシャンが自作したものをニューミュージックと捉えているようです。

 もちろん、一概にそう言えるわけではありませんし、その捉え方自体、正しいかどうか、意見が分かれるところかもしれません。ただ、「歌謡曲とニューミュージックの対立から融合」というプロセスに関していえば、それはすなわち、「職業作家と素人上がりのミュージシャンの対立から融合」という意味に置き換えることができます。この視点は結構、重要というか、音楽制作におけるパラダイムの転換を思わせるところがあって実に興味深いですね。

 それというのも、この後、音楽シーンに待ち構えているのは、アメリカやヨーロッパの音楽的な流行を積極的に取り入れつつ、実に華やかで多様性に富んだ楽曲が数多く発表される時代であり、それはまるで「J-POPのカンブリア爆発」というべき様相を呈するわけです。

 その様相を生んだ背景として、経済面から見ればバブル景気の到来が挙げられるでしょう。最先端の音楽機材の導入や海外での情報収集が行ないやすくなったこと、さらに海外のミュージシャンを起用し、本場のテイストを楽曲に取り入れることができるようになった点も、邦楽に新しいアイディアを吹き込む要因になったと言えます。

 注目に値するのは、そうした楽曲制作の担い手として中心的な役割を果たしていたのが「素人上がりのミュージシャン」だったことです。技術的に見れば、彼らの多くはレベルが低く、公表されることはあまりなかったですが、彼らのバックには専門教育を受けたミュージシャンがつき、楽曲制作をサポートしていました。

 しかし大事だったのは、彼らの技術ではなく、都会で生活する彼らの感覚であり、その感覚を楽曲に取り入れて広く大衆に訴える表現方法を模索できる職業作家たちの技術にありました。ここに両者の融合が果たされるわけです。実際、1980年代あたりから編曲家の存在が徐々に注目を集めるようになります。裏を返せば、そこに職業作家たちは活路を見出したともいえるかもしれません。