黄ふくろう日記

大好きな事なら超続けられる…でも大好きな事は毎日入れ替わるよ♪

雑記

ぬくもり、いい言葉じゃないですか

 『北斗の拳』で出てくるキャラクターのなかでは、なんといってもサウザーが好きなんですよねぇ。誰よりも愛深きゆえに愛を捨てた男……あまりにも切なすぎるじゃありませんか。

 もともとサウザーは、極悪非道な人間ではなく、むしろ、孤児であったサウザーを自分の後継者として育ててくれた南斗鳳凰拳の伝承者、オウガイ先生への深い愛情にあふれた少年でした。

 しかし、サウザーが15歳になったとき、修行の一環として目隠しをしながらの真剣勝負を初めて行ない、倒した相手がまさかのオウガイ先生という衝撃的な出来事に見舞われます。

 身を引けば拳を交わすことができたはず、なぜ交わしてくれなかったのかと責めるサウザーに対してオウガイ先生は、交わすにも交わせなかった、南斗鳳凰拳は一子相伝であり、新しい伝承者によって倒されるのは宿命だと諭した上で、「わしに悔いはない、わしはお前の瞳のなかに極星、南斗十字星を見ていたのだ」と言い、息を引き取ります。

 誰よりも深く尊敬し、誰よりも深く愛していたオウガイ先生を、自分自身の手で殺めてしまったこと。それが南斗鳳凰拳を伝承する人間の宿命であったとしても、まだ若いサウザーにはあまりにも過酷な試練でした。サウザーは激しく慟哭し、「愛がこんなに悲しいのなら、愛がこんなに苦しいのなら、愛などいらぬ!」と心に決めたのでした。




 「愛ゆえに人は悲しまなければならぬ、愛ゆえに人は苦しまなければならぬ」 サウザーにとって愛とは、オウガイ先生を殺めてしまった自分への罪悪感をよみがえらせるものだったのかもしれません。南斗鳳凰拳伝承者として、その宿命を負って生きるためには、愛を否定せずにはいられなかった。おそらくそうしなければ、自我を保つことができなかったのだろうと思われます。

 しかし、ケンシロウとの対決に敗れたサウザーは、そこで愛は悲しみや苦しみだけでなく、ぬくもりもあったはずだとケンシロウに言われ、そのことに気づかされます。そして聖帝十字陵に安置されているオウガイ先生の亡骸にすがり、「もう一度、ぬくもりを……」といって息絶えるのでした。

 


 これはなかなか、いいシーンですよ。ぬくもり、いい言葉じゃないですか。たしかに心から愛する人と、肌と肌を合わせたときに感じるものは理屈じゃないですからね。至言といってよいでしょう。

 サウザー担当の声優、銀河万丈さんがまた、うまいんですよねぇ。ガンダムファンからはギレン総帥担当の声優さんとして知られていると思いますが、北斗の拳でも存在感を大いに発揮しております。


感想アンケートを見て思うこと

 人前で話す仕事がありまして、事前に色々とネタを考えて1時間強、喋り続けるんですけど、終わった後、いつも感想アンケートを回収するんですね。聴講者の方から結構、率直な感想や意見、質問なんかが寄せられるので、個人的には参考にさせてもらっています。

 ただ、真逆のことがアンケートに書いてあるとやっぱり困惑しますね。たとえば、「内容は難しかったけど、とても分かりやすく説明していただいてよかったです。次もぜひ聞きたいです」とアンケートに書いていたりなんかすると、いやぁ、嬉しいなぁ、頑張らなくちゃと思ってニコニコしちゃいますね。その一方で、「分かりにくかった。今度はもっと説明の仕方を工夫してほしい」と辛辣なコメントがあったりなんかすると、ありゃま、怒られちゃったと凹んじゃいます。そして一体、どちらを信頼したらいいのかしらと戸惑ってしまうわけです。

 そんなことを別室で同僚の人と喋っていたら、その人曰く、そんなアンケートなんて気にしちゃだめよ、答えている方も真面目に書いているわけじゃないからさとアドバイスしてくれたんですね。う~む、そういうもんなんですかねぇ。

 たしかに昨今、スライドを使ってプレゼンするのが当たり前になっているなか、今もなおレジュメを紙に印刷して配り、それをもとに話すというオールド・スタイルでやっているので、そういうスタイルに慣れていない若い人たちからは、もっと図や写真、動画を使って説明してほしいと言われます。そう言われる自覚はありますし、これはもうスタイルの問題なので今後、改めるつもりはありません(大体、パソコンのスライド作りが嫌いなんです)。

 あとは話し方の問題ですね。なるべく話す前はテンションを上げて、気分が乗った状態で話すようにしています。こちらのテンションが上がっていないと、聞いている人たちの気持ちを引っ張っていくことができませんからね。ただ、調子づくと早口になる傾向があるので、そこはなるべく意識して、そうならないように気を付けているつもりです。

 印象では、女性の方がしっかり話を聞いてくれている感じですね。決して女性が食いつくような話題を取り扱っているわけではないんですが、根が真面目な人が女性には多いんでしょうね。ノートを取っていたり、感想アンケートに質問や意見をきちんと書いてくるのも女性の方が多いように思います。

 その点で男性は、ものすごく食いついてくる人とそうでない人の差が激しい。ものすごく食いついてくる人は、終わった後も居残ってもっと色々聞きたいといった感じで話しかけてくるんですけど、そうではない人はホント、さっぱりしています。

 でもまぁ、とりあえず女性に嫌われないように話すのが大事かなと思いますし、今のところ、嫌われている感じではないので、今のスタイルのままでも大丈夫かなと高をくくっております。


スズキの自動車にも興味を持ち始めた

 今のところ、買う気も買う予算もないんですけど、スズキの新型スイフトとバレーノに興味を持ち始めてしまいまして、特集動画をちらちら見ています。


 




 両方ともスズキが新しく開発したBプラットフォームを採用したことによって、車体の軽量化に大きく貢献しました。そのおかげで燃費改善にもつながったようです。

 まぁ、あんまり細かいことはよく分からないんですけど、車を買うなら、とにかく乗りやすくて機能性が高い車がいいと思うんで、この辺りの車で十分ですね。高速道路を頻繁に利用するわけではないですし、それほど強いパワーが必要な場面もないと思いますし。

 それにどうせ車を買うなら、バイクと同様、スズキで買いたい。こういうと「鈴菌」感染者みたいですけどね。デザインや高級感はともかく、実用性だけ考えれば、スズキはとてもいいメーカーだと思いますよ。信頼しています。


「耳障りがいい」という言い回し

 今どきの言い回しに文句を付けるようになったら、老人の仲間入りらしいんですけど、どうしても納得できない言い回しがあるので今回、文句を言いたい。

 それはですね、「耳障りがいい」という言い回しです。これ、どう考えても間違った言い回しだと思うんですよね。

 まず「耳障り」という言葉がありますね。意味としては、「聞いていて不愉快に感じること」です。注目すべきは「障り」という部分でして、これは「差し障りがある」や「当たり障りがある」という表現が存在するように、基本的にネガティブな文脈で使われる言葉です。

 しかし、「耳障りがいい」という言い回しだと、「聞いていて不愉快に感じること」が「いい」と言っているように聞こえてしまいます。もちろん、そういう意味で使っているなら問題はないんですけど、どうも聞いていると、それをポジティブな意味合いで使っている人が多いんですね。そうなると、「不愉快なこと」なのに「いい」というのはどういう感覚なのか、この人は精神の統一がとれているのかという困惑を聞き手に覚えさせることになります。

 逆に「耳障りが悪い」と言えばいいのかというと、これもちょっとおかしい。「耳障り」にネガティブな意味合いが含まれているわけですから、わざわざ「悪い」という言葉を添える必要はありません。「耳障りだ」とストレートに言えばいいのです。これで意味は十分、通じます。

 次に、ここで使っているのは「耳障り」ではなく、「耳触り」だという議論があります。しかし、それも釈然としないものがあって、「耳触り」というと、耳を何かに押し付けて、その感触を確かめている様子を思い浮かべてしまうんですね。当然、「耳触りがいい」という言い回しだと、その肌触り、というか耳触りがいいと言っているように聞こえるので、何だかちょっと変態っぽい感じになってしまいます。

 じゃあ、どうすればいいのかというと、先ほども書いたように「耳障りだ」という言い回しをストレートに使うか、「耳当たりが悪い」とか「聞き心地がいい」とか、そういう言い回しを使えばいいと思いますね。これだと思わぬ誤解や違和感を聞き手に覚えさせることはないでしょう。

 ちなみに、文化庁のウェブサイトにアクセスすると、この点についてまとめたエッセイが掲載されています。どうやら夏目漱石の『こころ』のなかに、「奥さんの言葉は少し手痛かった。しかしその言葉の耳障からいうと、決して猛烈なものではなかった」という文章があるらしく、そこから「耳障り=聞いた感じ」という誤用が始まっているみたいですね。

 いやね、漱石は立派な小説家なんですけど、色々な作品のなかで言葉遊びをして、それがそのまま後世に伝わって市民権を得てしまったケースが結構、あるんですね。だからまぁ、そういう遊び心をもって読むのであればいいんですが、小説に書かれているから正しい言い回しだと勘違いして世に広まってしまったという意味で、漱石は国語に悪影響を残したと言えるかもしれません。




野良猫が2匹、遊びに来ている

 この間から庭先に、野良猫が遊びに来るようになりました。先日、台風がひどかったので、どこからかやってきて、縁の下で雨宿りしていたのかもしれません。以後、ちょいちょい庭先で見かけるようになり、晴れた日には庭石の上で寝転がったりしています。

 野良猫は2匹いて、1匹は黒猫です。こんなやつです。


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 そして、もう1匹は白猫です。こんなやつです。


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 見たところ、どちらもオスのようで、ときどき2匹がじゃれて遊んでいるので、それほど年は取っていないのではないかと思います。

 仲良くなろうと思って近づいてみましたが、やっぱり野良猫なんですぐに逃げてしまいます。餌をちらつかせてもダメですね。まったく懐こうとしません。そのくせ、こちらが庭で台風で壊れた瓦の後片付けをしていると、距離を置きつつ近くで様子を見ていたりして、なんとも思わせぶりな奴らです。


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 こらこら、すでに先客がいるんだから、無理やり入ろうとしたらダメでしょうが。


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 強引な奴め、結局、まんまと収まっちゃったよ。


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 まぁ、おたがいに毛繕いして仲良くしているからいいか。


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