黄ふくろう日記

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本棚

結局、煩わしいのは身の回りの問題

兼好_徒然草













 吉田兼好という人物は果たして本当に実在したのかという話があって、権威ある研究によると、どうやら吉田兼好は実在したけれども、伝えられているような経歴ではなく、朝廷を守っていた武士だったのではないかと見られているようです。

 一方、兼好といえば、『徒然草』の作者として知られています。しかし、その事実を明確に示す証拠が見つかっていないので、本当に兼好が作者なのかという疑問もあるようです。今のところ、論争が決着したわけではありませんが、『徒然草』に関しては今後、教科書での説明の仕方が変わるかもしれませんね。

 ただ、誰が作者であろうと、それがどのような人物であろうと、俗世から離れて、世の中のことについてあれやこれやと書いているという『徒然草』の内容が変わるわけではありませんし、それがいわゆる「隠者文学」として評価されてきたことも揺るがないでしょう。

 個人的な趣味として、こういう世捨て人のような立場から物事を考えるスタイルは好きなので、『徒然草』も枕元に置いている愛読書のひとつなんです。心を穏やかにして生きるにはどうすればいいのかという大きなテーマがありつつ、兼好はやたらと世事に口をはさみ、怒ったり嘆いたりしていることが滑稽といえば滑稽です。

 しかし結局、兼好が煩わしく思ったのは、身の回りの問題だったのではないかと思うんですね。つまり、日々の生活のなかで直面する家族や家計の問題、働くのはよいとしても出世争いや派閥抗争の問題、こういうことから身を自由にして生きることが心の平穏を保つ上で必要である。だから兼好は、「結婚なんてしない方がいい」というわけです。

 今の若い世代の人たちが『徒然草』を読んだら、どういう印象を持つんでしょうね。思うに案外、共感を覚える人が多いんじゃないでしょうか。少し世間を見渡すと、無常観を抱える人たちが増えたように思いますね。一昔前ならそんな無常観を覚えなくてもいい生活を送っているのに、そうなってしまっているのはなぜなのか。何がそうさせているのか。考えなければいけないと思いますね。


「詳しいことは分かりませんでした」という本

石井暁_自衛隊の闇組織















 これは結局、自衛隊の内部に存在すると言われる「別班」について調べてみましたが、詳しいことは分かりませんでしたということを長々と綴っているだけの本です。色々と苦労したそうですけど、成果がなくても本が出せるんですねぇ。

 少なくとも日本政府は、「別班」という組織を公式に認めたことは一度もありません。噂では1950年代、米国の指導によって自衛隊に情報活動の専門部隊が作られたことをきっかけとして「別班」が置かれたと言われていますが、その存在を示す証拠がまるで公開されていませんし、別班のメンバーだったと言われる人たちの証言もあやふやで、あまり信用できません。

 そもそも現下の日本において、自衛隊内に情報活動の専門部隊を作ったとしても、どこに派遣し、活動するというのでしょうか。はなはだ疑問と言わざるを得ません。しかも証言によっては、レンジャー部隊やスパイ活動の訓練などが別班で行なわれたというんですけど、そんな訓練を実施したところで、どこで披露する機会があるというのでしょうか。もし本当にそんな訓練を行なっていたというのなら、間抜けもいいところです。

 こういう話は、匿名の関係者へのインタビューによって構成されることが多く、客観的に検証することができなくて困ります。たしかにそれが真実であれば、なかなか興味深いものがありますが、やはり証言は、どこまでいっても証言にすぎません。

 むしろ私たちが示してほしいのは、その証言をきちんと裏付ける証拠です。具体的な根拠を示すことなく「俺は見てきた」、「俺は知っている」というだけの与太話は、これまでにも数多く聞いてきました。いい加減、その証拠を出してほしいわけです。

 あるいは、証拠が出せないというのであれば、せめて実名で語ってくれる人物の証言を使ってほしい。どこの馬の骨とも分からない人物の話を一方的に並べられても、こちらはただ、「そうなんですねぇ」と黙って聞くしかないわけで、そこから先の真実に迫ることができません。

 とはいえ、もし「別班」という組織が存在するとすれば、スパイ工作を目的とした専門部隊というよりも、通信傍受の専門部隊として存在した可能性はあるかもしれません。それというのも内閣調査室の歴史をひもとくと、発足当初、通信傍受部門を作る動きがあり、人材の調達もひそかに行なわれていたからです。

 しかも別班は、防衛庁ではなく内閣府に置かれていたと言われているので、通信傍受の専門部隊というよりも、ホワイトハウス内にある「シチュエーションルーム」のような位置づけの組織だったのかもしれません。また、その文脈から考えると、在日米軍との協力があったことも腑に落ちやすいでしょう。

 この問題に関心を持つ人は、そういう方面からアプローチすることをおすすめします。おそらくその方が、より真実に近づきやすいのではないかと思いますね。


コウモリ外交の行き着く先にあるもの

鈴置高史_米韓同盟消滅















 古代から日本は、どのように朝鮮半島と付き合っていけばいいのかという問題をめぐって悩み続けてきました。隣国だから仲良くすべきだという意見もある一方、民度の低さを理由に深入りを避けるべきだという意見もありました。

 果たしてどちらが正しいのか、必ずしもその答えが出ているわけではありませんが、少なくとも歴史をひもとくと、深入りしない方が日本にとって幸福なことが多かったと言えそうな気がします。

 現在の朝鮮半島も、日本にとっては悩みの種のひとつです。北朝鮮の核ミサイル開発が進み、いよいよ身内さえも手にかける独裁者が日本に到達可能な核ミサイルを持ってしまったのですから、その脅威は非常に深刻と言わなければなりません。

 そこで日本は、地理的に近い韓国と協力し、北朝鮮の脅威に対処することが必要なのですが、韓国が米中両国の間で彷徨し、その立ち位置がまるで定まっていません。

 日本は米国と同盟関係にある以上、東アジアでの利益を米国と共有し、その実現に向けて日米両国で協力しながら対処することになります。ところが韓国は、米国になびいたり、中国におもねったり、日本にかしずいたり、国家戦略のベクトルをあいまいにしたまま、いわゆる八方美人的な外交を繰り広げています。

 八方美人的な外交は、最後には誰からも信頼を失い、八つ裂きのようにして身を滅ぼします。自分たちは「コウモリ外交」を気取っているのかもしれませんが、何かを天秤にかけるときは、自分がつねに天秤にかけられる側よりも優位に立っていることが前提です。

 韓国の国力を考えれば、日米中よりも劣位であるし、その劣位を挽回できる立場にもないことは明らかでしょう。つまり本来、韓国はコウモリを気取って大国を手玉に取るような外交は望めない国であることは、はっきりしているわけです。

 それにもかかわらず、韓国は身の丈を知らないまま、自意識だけを肥大させ、今まで後ろ盾になってきた日本や米国の信頼を裏切り、日米と戦略的な利益の面で対立する中国にすり寄りました。

 しかし中国もまた、韓国に対して格下扱いであり、韓国が中国の利益や面子を損なう行動に出たときは、厳しいしっぺ返しを食らわせます。その点で韓国は、どこまで行っても東アジアでは、セカンド・パートナーとしての役割を脱しきれないのです。

 この厳然とした事実を受け入れようとしないで、自分たちにとって都合のいい未来や願望ばかり思い描いたツケが今現在、韓国に降りかかっているというのが、この本の基本的な主張です。その内容は、おおむね同意できるものです。

 もちろん、タイトルにある「米韓同盟消滅」は、現状の行き着く先として著者が象徴的に述べているのですが、個人的な印象としては、多くの専門家の分析に反して、著者と同様、その可能性は決して低くないと見ています。

 そもそも韓国は、米国にとって戦略的価値の乏しい国ですから、韓国の出方によってはその信頼が地に堕ち、米国から三下り半を突きつけられるおそれがあるということは、韓国自身がもっと強く自覚すべきだと思いますね。


ピザには中口の白ワインが合うと思う

渡辺陽一_至福のナポリピッツァ















 昨日の続き。

 パーティーなんかに行くと、ピザやらビールやら並んでいて一緒に飲食する機会があるかもしれません。しかし、個人的な印象ではピザとビールは相性が悪いと思います。何だか胃がもたれる感じ、いわゆる膨満感というやつですか、それを覚えるので、せっかくピザを食べても美味しさが引き立たないような気がします。

 実際、家で宅配ピザを頼んで、ビールを飲みつつピザを食べることがありますけど、すぐにお腹がいっぱいになってしまいます。しかも宅配配ピザの場合、味付けが濃いので、一層、胃がもたれたような感じがして、「ピザを食べるぞ!」という当初のテンションがどんどん下がって、「いや、もういらない……」みたいになっちゃうんです。なっちゃいませんか? なっちゃうでしょう? なっちゃうんです。

 それで色々と試した結果(というほど、あれこれ飲んだわけではないけれど)、ピザには白ワインが合うという結論に達しました。赤ワインでも差し支えないんですが、その場合、なるべくボディーの軽いものが好ましいと思います。

 ピザを食べたときに口のなかをスッキリさせる効果を狙って、スパークリングワインを勧める向きもあります。たしかにその効果は捨てがたいんですけど、ビールを含め、炭酸系はやはり膨満感を誘うので、個人的には白ワイン一択で行きたい。とくに中口のものがいいですね。甘口はダメです。

 ところが、本場イタリアで修行し、日本でピッツェリアを開業している方の本によると、イタリアではピザを食べるとき、多くの人たちがビールやコーラを飲んでいるらしいです。

 いやぁ、こいつはまいったなぁ。いずれも炭酸系の飲み物じゃないですか。これは生意気に「ピザにビールは合わない」と言ってしまって申し訳ないという感じなんですけど、しかしイタリア人が何と言おうと、白ワインの方が合うと思う。間違っていないと思う。少なくとも日本人は、その方がいいと思う。

 まぁ、合うお酒の選び方なんて個人的な好みの問題ですから、あんまりムキになって言うのも無粋なんですけど、白ワインがいいと思うなぁ。イタリア人、案外、分かっていないのかなぁ。


ピザの歴史は思ったよりも浅い

ヘルストスキー_ピザの歴史















 やっぱりピザ好きとしては、ピザに関する薀蓄の一つでも知っていないといけません。ただ漫然と、ピザを食べているだけでは人間、成長がありません。しかし、そうかといって、薀蓄をひけらかすのはよくありません。あくまで嫌味がないように、さらっとそれとなく言うのがよろしい。ドヤ顔なんて決めるのは、かえって無粋でしょう。

 そこで薀蓄といえば、歴史から入るのが王道です。残念ながらピザの歴史について詳しく書かれた本は、日本語ではあまり見かけないんですが、この本はピザの歴史について大まかにまとめられている点で有益なものになっています。

 なんとなくピザは、その作り方が簡単なことから、古代ローマから存在している料理というイメージがあります。もちろん、それに類する料理はあるようなんですが、今のピザの原型に近いものは、18世紀からです。しかも当時はまだ、ナポリの労働者階級が食べるファストフードという位置づけであり、イタリア全土にピザが広まるのは第二次世界大戦後になります。思ったよりもピザの歴史は浅いんですね。

 その後、大戦時、南イタリアに駐屯していた米軍の兵士たちがピザを大変、気に入って、それを母国に持ち帰ったり、あるいはアメリカにやってきたイタリア系移民がピザをニューヨークで売り始めたりしたおかげで、ピザはアメリカで大いに受け入れられることになりました。現在も世界最大のピザ消費国はアメリカで、その量は1年に10億トンを超えるほどだそうです。

 しかし、それは一方で、ピザのチェーン店展開を推し進めたことで、画一化・規格化されたピザを大量生産することになりました。ピザは本来、自由な食べ物であり、何をトッピングしても何をソースに使っても構いません。地域ごとに地元の食材を使ってピザを食べるのがオーソドックスなスタイルなのですが、いつでもどこでも同じピザが食べられることによって、ピザの多様性を奪うことにつながりました。

 そこで近年、ピザの伝統的なスタイルを取り戻そうということで、「真のナポリピッツァ協会」という団体が設立され、ナポリピッツァの伝統技術を後世に伝えるとともに、その趣旨に賛同する店を認定する活動を行なっています。また、イタリアからピザ窯を直輸入で備え付けられるようになったことで、日本でも本格的な窯焼きピッツァが食べられるようになりました。

 色々と細かい話やエピソードが詰まった本ですから、ピザ好きであるなら手元に置いておきたい一冊ですね。これであらためて勉強することができます。


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