黄ふくろう日記

大好きな事なら超続けられる…でも大好きな事は毎日入れ替わるよ♪

本棚

アイディアは意図的に作るものである

J・ヤング_アイデアのつくり方















 会議が行き詰まると「何かいいアイディアないかなぁ」というコメントする人がよくいます。そういう本人だって何も思いついていないんだから、周囲にいる責任の軽い人たちに聞いたって、やっぱり何も思いついていないことが多いですね。しかも聞いてすぐに出るアイディアなんて、所詮、大したもんじゃないですから、そんなコメントを吐くこと自体、ナンセンスと言えばナンセンスです。

 アイディアを出すということ、それを単なるひらめきと思っている人が結構、いるんですけど、本当はそうではありません。アイディアとは意図的に作るものであり、突然、空中にポンと浮かぶようなものではないんですね。

 じゃあ、どうやって作るのか。この本では結局、アイディアとは新しい要素を探してくることではなく、既存の要素を新しく組み合わせることだと言い切っています。そのために、資料を収集し、内容を理解する。そしてしばらく問題を放置し、頭のなかが整理され、落ち着いて考えることで要素ごとの関連性を発見し、それをアイディアとして具体化していくというプロセスであると説明しています。

 つまり、まったくの白紙の状態からアイディアは生まれませんよ、ちゃんと準備しないと、まともなアイディアなんか出ませんよと言っているわけです。考えてみれば、当たり前のことなんですけどね。

 したがって苦し紛れに「何かいいアイディアを出せ」と言われても、こちらは何の準備もしていないから、その場の思いつき以上のことを出すことはなかなか難しいです。やはり事前に準備して、アイディアを出す場を作ってやることが必要なんでしょう。

 そういうことですから突然、人を集めて「何かいいアイディアを出せ」といって何も出てこなかったからといって、こちらに文句を言ってはいけません。この間も急に呼ばれて、何か意見を出せと言われたんですけど、こっちだってあなたの都合に合わせて生きているわけじゃないんで、そんな無茶ぶりにすぐ応じられるわけがありません。まったく、勘弁してほしいもんですよ。


小田和正のツアーパンフレットだけを購入

小田和正_EncoreTourパンフ2018











 小田和正のライブに行っていないのに、そのツアーパンフレットだけ購入するというね、ちょっとイレギュラーなことをやってのけてしまいましたが、どうしても手に入れたかったわけです。

 なぜかというとですね、今回のツアーパンフレット、「幼少期から70歳まで約1000点の写真とエピソードで構成された全240ページ!! 見応えも読み応えもあるファン必携の超豪華完全保存版!! 」という謳い文句にあるように、小田和正という人を知るための優れた資料になると思ったからです。

 いや、別に知っても知らなくても、自分の人生に大きな変化があるわけではないですけど、一応ね、高校時代からファンでしたし、こういうふうにキャリアをまとめた資料というのは作るのが面倒なので、なかなか世に出ないものですからね。

 しかも、どこかのファンが勝手に作ったものではなく、公式のツアーパンフレットとして出るわけですから、掲載している情報の信頼性も高いといえるでしょう。価格が3500円ということで「意外と高いな…」と思ってしまいましたが、いいものが手に入ったと満足しています。


今、哲学すべきは「国民国家の行方」である

橋爪大三郎_政治の哲学
















 「政治とは何か」という問いに対して、どのような答えを提示すべきなのか。多くの政治学者は、その答えを見つけるために思考を重ねるわけですが、どれもいまいち、腑に落ちないのは、国民国家の成立が持つ政治的な意味について、正面から論じたものが非常に少ないことです。なぜこの点をもっと重視して議論を組み立てないのか、不思議に思います。

 現代国家の特徴をひとつ挙げるなら、それは国民国家であるということです。すなわち、主権者は国民であり、国民の意思にもとづいて政治が行なわれるということです。そう言うと、中国や北朝鮮は国民国家に当てはまらないのではないかと反問されそうですけど、こうした国々でさえ、国民の意思に根差した政治体制を形式上、採用しているわけですから、とりあえず国民国家に分類されると思います(実態はともかくとして)。

 真面目な政治学者は、17~18世紀に活躍した哲学者たちの議論を参考にしつつ、「政治とは何か」という問いに答えようとします。それは結構なんですが、現代国家が直面している課題は、もはや彼らが前提とし、理想としていた社会契約にもとづく国民国家のイメージから離れつつあり、「ヒト・モノ・カネ・サービス」が国境を越えて目まぐるしく動く時代になったことで、国民国家のあり方そのものが大きく問われていることにあります。

 とすれば、今あらためて「政治とは何か」と問うならば、国民国家の行方をめぐる再検討は不可避です。議会にしても政党にしても国防にしても社会保障にしても、国民国家の成立が持つ政治的な意味に立ち返った上で、なぜそれが必要なのかという疑問に答えないと、現代の国民国家における政治の本質的な理解にはつながらないわけです。

 また、その理解が進まなければ、やはり政治は一部のエリートのものであって、一般の庶民には関係がないものだという印象を残すことになるでしょう。その無力感こそが今、政治への不信感を生む要因になっているのであり、その不信感を抱く人たちがたやすく陰謀論に飛びついてしまうという知的退廃を招いているように思うんですね。

 その点で本書は、「政治とは何か」という問いを市場から考えて答えようとするのですが、やっぱり途中からおかしくなってきて、市場を軸とした視点からどんどん離れて、やがて政治学のテキストに書かれている平凡な解説レベルに着陸してしまいます。つまり、市場から政治を「哲学」することには限界があったのであり、現代の政治が抱える問題への答えを導く道程にはなり得なかったということです。


安全保障を学びたい人には必携の入門書

安全保障学入門新訂第5版
















 随分、分厚い本になってしまいましたなぁ。いや、決して嫌味を言っているわけではなく、版を重ねるごとに内容の充実が図られてきたことを喜ばしく思っているのです。

 初版が出たのは、今からちょうど20年前、1998年のことです。当時は米ソ冷戦が終結し、ポスト冷戦の国際秩序のあり方をめぐって、一極化とも多極化とも言われた時代でした。テロリズムの脅威はたしかに高まりつつあったものの、中国の軍事的・経済的台頭や北朝鮮の核ミサイル開発は今ほど深刻に受け止められていませんでした。

 また、1990年代に入ってインターネットが普及し、サイバー空間でのデータのやりとりやコミュニケーションが国境を越えて行なうことができるようになりましたが、今のようにサイバー攻撃が頻繁に仕掛けられる状況ではなく、その目的もコンピューターからの情報窃取ではなく、ウイルスを侵入させて誤作動を起こさせるものが主流でした。いわんやそこに、国家が関与し、諜報活動の一環として位置づけられる時代にはなっていませんでした。

 しかし今や、テロリズムは世界共通の脅威として認められていますし、アメリカと中国は戦略的な利益をめぐって対立する関係になりました。北朝鮮の核ミサイル開発は、核実験の成功によって周辺諸国の重大な脅威となっていることは明らかでしょう。また、サイバー攻撃も知的財産権の侵害や社会インフラの破壊を招くとして、危機管理において従来よりもはるかに重大な問題と見なされています。

 こうした変化は、国際政治の力学だけでなく、その規範と言える国際法のあり方にも大きな影響を与えました。果たして今後も、国家を中心とした伝統的な国際政治観をベースとして国際秩序の行方を考えるのが正しいのか。もしそれが正しくないとしたら、どのような修正や変更を加えるべきなのか。冷戦終結によるイデオロギー対立の消失で、国際秩序を動かす要因はパワーなのか、それとも別のあたらしい理念に移ったのか。国益の多様化が国家の行動にどのような変化をもたらすのか。国連は、今のままでも機能し続けるのか。

 これらの問題を考える上で、この本はその基本的な知識と理解の方法を提供するものです。脚注や参考文献の紹介も充実しているので、安全保障を本格的に学びたい人には、まさに必携すべき、うってつけの一冊でしょう。

 ただ、入門と銘打っていますが、国際政治学や国際関係論に関する素養がまったくない人にとっては、その内容を理解するのはなかなか難しいと思います。そういう人は、権力とは何か、集団とか何かという政治学の基本を押さえた上で、この本をひもとくとよいでしょう。


安全とプライバシーのバランス感覚が大切

スノーデン監視大国日本を語る
















 スノーデンの立場はあいまいで、前例のない規模でプライバシーの侵害が行なわれていると告発しつつも、そこから先の議論には極力、深入りしないようにしているんですね。要するに、問題を提起する役割に徹しており、何か政治的な主張や運動を展開することには慎重な態度をとっているわけです。

 そもそもプライバシーの侵害は、インターネット空間だけで問題になるわけではありません。たとえば、銀行やコンビニ、スーパーなどには監視カメラが設置されており、人の出入りや行動、表情などが常時、映像として収められています。また近頃は、駅や公園、繁華街などにも置かれていますね。

 以前であれば、こうした公共空間に監視カメラを設置するのはプライバシーの侵害だとして、弁護士らを中心に強い反発がありました。しかし今は、そういう声を聞くことがほとんどなくなりました。なぜかといえば、それは犯罪抑止だけでなく、犯罪捜査にも大きな威力を発揮し、市民の安全を守るのに役立っていると認識されたからです。

 これがインターネット空間だと、どうでしょうか。スノーデンがリークした情報の内容は、たしかに衝撃的なものでした。なぜならアメリカをはじめ、英語圏5か国によって構成される「ファイブ・アイズ」と呼ばれる国々が「XKEYSCORE」という監視システムを通じて、インターネット上の個人情報を大量に収集しているという事実が明らかになったからです。このリークによって、先の監視システムを「ビッグ・ブラザー」になぞらえて、国家によるプライバシーの侵害を強く非難する動きが一気に高まりました。

 しかし、まずもって問われるべきは、その目的です。こうした監視システムは、テロをはじめ、組織犯罪の摘発や追跡などに関する情報を収集するために行なわれています。罷り間違ってもその監視によって、市民の自由を管理・統制し、政治的な弾圧を加えたり、権利を奪ったりするために行なうものではありません。

 いまやテロリズムが、世界の国々にとって深刻な脅威になっていることは明らかですから、その情報をできるだけ幅広く収集し、各国政府間で情報共有を図りながらテロの防止に努めることは、市民の安全を守るという国家の務めを果たす上で必要なことです。インターネット上の監視についても、それがテロ対策という目的のために正しく使われているなら、街角の監視カメラと同様、プライバシーの侵害には多少、目を瞑ってでも、市民の安全を確保することが優先されるでしょう。

 ただ、情報が本当に正しく使われているのかという疑問や懸念があることもまた、たしかです。その点について政府は、説明責任を果たすことが必要だと思います。当然、手続き上の不備や不適切な記録破棄が起こらないように細心の注意を払うことが求められるでしょう。そこは民主主義体制の矜持として、政府にはしっかりと取り組んでもらわなければなりません。必要に応じて、第三者的な立場からのチェックが入る仕組みも整備した方がいいかもしれませんね。

 しかし、プライバシーの侵害を理由に、インターネット上の監視そのものが悪いという議論は、監視カメラの問題まで立ち返って考えることになるでしょうし、見方によっては目撃証言だって市民による監視活動の成果と言えるわけです。そうなると結局、議論の対立点は、監視をめぐる論理の追求ではなく、程度の追求ということになってきます。

 そして、監視をめぐる程度の追求ということでいえば、市民の安全を守るという目的のためなら、多少のプライバシー侵害はやむを得ないというのが社会的な合意として受け入れられているわけです。その点で市民の立場としては、安全とプライバシーのバランス感覚を保つことが大切でしょうし、国家による市民への監視もそのバランス感覚に支えられていることが必要なのでしょう。


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