黄ふくろう日記

大好きな事なら超続けられる…でも大好きな事は毎日入れ替わるよ♪

音楽

直接、言ったら怒られそうなんで

 

 最近、知人に勧められて、乃木坂46のシングルを色々と聴いておりました。正直、どの楽曲も歌い手の圧倒的な声量不足のせいで、まったく迫力がないというか、訴えてくるものがないなぁという印象を抱きつつ、詰まらんと思ったら適当にスキップして鑑賞していたわけです。

 しかもわりと歌詞には、甘酸っぱいニュアンスが込められているのに、楽曲だけクールに決められても違和感を拭えないというか、アツアツのお鍋にフルーツを具材として放り込んだらアカンでしょうという感じで、意外性のある組み合わせというよりも単なるミスマッチになっているように思ってしまいました。

 結局、その印象が変わることはなかったんですが、そういうことは全部、棚に上げて、「せっかちなかたつむり」という楽曲はなかなかいい感じに仕上がっているんじゃないでしょうか。

 言いたいことはたくさんあります。しかし一応、楽曲としては歌詞の世界観とシンクロしているし、メロディーラインも覚えやすいように作られています。アレンジでは、焦りや戸惑いで揺れる恋心をうまく表現できていると思います。それと圧倒的な声量不足が目立つボーカルですが、この楽曲に限ってはそれが歌詞の主人公が抱く心理的な不安定さを演出することにつながっていますね。

 ただ、サビの部分、ここがもっとも大事なのに、盛り上がりに欠ける作りになっているのはずいぶん惜しいところです。いや、乃木坂の楽曲全般に言えることですが、サビのインパクトがどういうわけか、弱いものが多いんですね。

 これはおそらく、何らかの理由によって意図的にそうしているんだろうと推測されますが、作戦としては正しくないように思います。とくにこの楽曲のように、可愛らしいポップスの場合、やっぱりキャッチ―なサビを置いた方が大分、印象が異なります。

 たとえば、サビに入ってすぐの「せっかちな~」のメロディーラインが下がるのであれば、次の「かたつむり~」のフレーズはメロディーラインとして上げるのがセオリーです。そうすると聴き手は、そのアップダウンに身を委ねて、自然とサビの盛り上がりに乗ることができます。

 現行では「かたつむり~」のメロディーラインも下がるので、せっかくサビに入ったのに、聴き手はいつになったら身を委ねることができるのか、待ちぼうけを食らったような感じになって、なかなか音楽的な快楽を得られないわけです。

 まぁ、そういうことをですね、ちょっと思ったもんですから、ここに忖度することなく書いておきました。勧めてくれた知人に直接、言ったら怒られそうなんで。


信じてくれる人がいるということの尊さ




 いやちょっとね、色々と考えることがありまして、頭のなかが少しややこしくなってきたので、ビリー・ジョエルの名曲「Honesty」を聴こうということで、今現在、聴いているわけですけど、ん~、やっぱり何度聴いてもいい曲ですなぁ。

 何といっても歌詞が素晴らしいと思いますね。愛情なんてものは、その気になったらいつでも手に入れられる。でも、誠実さを求めることはほとんど不可能に近いくらい難しい。しかし、この歌詞の主人公がパートナーに求めているのは愛情ではなく、まさに誠実さなんですね。

 もはや何も信じられないほど傷つき、誠実な人間なんていないという絶望とも諦めともいえる気持ちを抱えながらも、それでもパートナーに誠実さを求めずにはいられないという心境。信じるということ、誠実であるということがいかに尊いものであるか、この歌詞は切々と歌っているわけです。

 若い頃は「愛さえあれば大丈夫!」みたいに考えていたりするもんですけど、やっぱり愛だけじゃダメなんですね。じゃあお金かというと、そういうことでもない。もちろん、お金はないよりあった方がいいに決まっていますけどね。

 長い人生、思いもよらぬことが起きて、想像していた未来とまったく異なる現実に直面する場合もあります。しかし、それを二人で乗り越えていく、あるいは乗り越えたいと思うためには、どうしたって互いに信じる気持ちがないといけません。信じてくれる人がいるということが、苦しいとき、どれだけ自分の心の支えになってくれることか。その尊さ、美しさに勝るものはないのです。

 そういうことをですね、この曲を久しぶりに聴いて思い出していたわけです。ん~、あらためて思うに、いい曲だなぁ。


小田和正のツアーパンフレットだけを購入

小田和正_EncoreTourパンフ2018











 小田和正のライブに行っていないのに、そのツアーパンフレットだけ購入するというね、ちょっとイレギュラーなことをやってのけてしまいましたが、どうしても手に入れたかったわけです。

 なぜかというとですね、今回のツアーパンフレット、「幼少期から70歳まで約1000点の写真とエピソードで構成された全240ページ!! 見応えも読み応えもあるファン必携の超豪華完全保存版!! 」という謳い文句にあるように、小田和正という人を知るための優れた資料になると思ったからです。

 いや、別に知っても知らなくても、自分の人生に大きな変化があるわけではないですけど、一応ね、高校時代からファンでしたし、こういうふうにキャリアをまとめた資料というのは作るのが面倒なので、なかなか世に出ないものですからね。

 しかも、どこかのファンが勝手に作ったものではなく、公式のツアーパンフレットとして出るわけですから、掲載している情報の信頼性も高いといえるでしょう。価格が3500円ということで「意外と高いな…」と思ってしまいましたが、いいものが手に入ったと満足しています。


いつかDTMを趣味として楽しみたい

 以前からやってみたい趣味として、DTM(Desk Top Music)があります。一昔前なら機材を揃えるだけで相当、お金がかかったものですが、今は随分、価格が下がって、プロ仕様のものでもソフトだけなら5万円くらいで手に入るようになっていますね。簡易なものであれば、フリーソフトでダウンロードすることもできます。

 ただ、音楽の専門教育を受けたわけではないし、それらしい教育といえば、せいぜい学校の授業で習ったくらいなので、まずは初心者向けのものから始めて、ゆくゆくはプロ仕様のものに進むのが筋かなぁと思うんですけど、詳しい人に聞くと、どうせ買うんだったらいいやつを買った方がいいよとアドバイスされます。ん~、どうしたもんですかねぇ。

 色々なサイトを見ていると、楽曲制作ソフトでは「Cubase」の人気が高いようですね。実際、プロのミュージシャンも多く使っているようですし、専門学校でも教材として使われているようなので、その分野では信頼と実績があるということなんでしょう。しかしへそ曲がりな性格なんで、みんながそれを使っているんだったら、別のやつを使った方が面白いかもとか思っちゃうんですね。もっと合理的に考えるべきかもしれませんが。


CubasePro9通常版













 今のところ、初心者からプロまで広い受け皿を持ち、楽譜での打ち込みがやりやすい「ability」がベターかなぁという印象です。市場のシェア率が低いので、データのやりとりでデメリットがあるらしいですけど、本格的なワークステーションを構築して、他のミュージシャンとデータを共有しながら楽曲制作に取り組むという状況にはおそらくならないでしょうから、それほど気にしなくていいでしょう。あくまで趣味として遊ぶことがメインですから。


Ability2.0Pro














 縷々述べておきながら、実は現時点において、DTMで遊ぶ時間を作ることは難しそうなので、今すぐ買う予定はないんですけどね。まぁ、それまでに楽曲制作のイロハを勉強して、いざ始めるとなったとき、うまく作業ができるようにはしておきたいものです。


「J-POPのカンブリア爆発」直前の時代様相を見る

スージー鈴木_1984年の歌謡曲
















 この本のなかで著者が言いたいのは、「1984年」という年は音楽シーンにおいて、①歌謡曲とニューミュージックの対立から融合、②シティ・ポップの誕生という現象が見られたということに尽きます。

 歌謡曲とは何か、ニューミュージックとは何かという定義から語り出したら、これはもう大変なことになります。しかし、著者の区分けを本文から注意深く読み取ると、要するに、専門教育を受けた職業作家が手掛けたものが歌謡曲であり、専門教育を受けていない素人上がりのミュージシャンが自作したものをニューミュージックと捉えているようです。

 もちろん、一概にそう言えるわけではありませんし、その捉え方自体、正しいかどうか、意見が分かれるところかもしれません。ただ、「歌謡曲とニューミュージックの対立から融合」というプロセスに関していえば、それはすなわち、「職業作家と素人上がりのミュージシャンの対立から融合」という意味に置き換えることができます。この視点は結構、重要というか、音楽制作におけるパラダイムの転換を思わせるところがあって実に興味深いですね。

 それというのも、この後、音楽シーンに待ち構えているのは、アメリカやヨーロッパの音楽的な流行を積極的に取り入れつつ、実に華やかで多様性に富んだ楽曲が数多く発表される時代であり、それはまるで「J-POPのカンブリア爆発」というべき様相を呈するわけです。

 その様相を生んだ背景として、経済面から見ればバブル景気の到来が挙げられるでしょう。最先端の音楽機材の導入や海外での情報収集が行ないやすくなったこと、さらに海外のミュージシャンを起用し、本場のテイストを楽曲に取り入れることができるようになった点も、邦楽に新しいアイディアを吹き込む要因になったと言えます。

 注目に値するのは、そうした楽曲制作の担い手として中心的な役割を果たしていたのが「素人上がりのミュージシャン」だったことです。技術的に見れば、彼らの多くはレベルが低く、公表されることはあまりなかったですが、彼らのバックには専門教育を受けたミュージシャンがつき、楽曲制作をサポートしていました。

 しかし大事だったのは、彼らの技術ではなく、都会で生活する彼らの感覚であり、その感覚を楽曲に取り入れて広く大衆に訴える表現方法を模索できる職業作家たちの技術にありました。ここに両者の融合が果たされるわけです。実際、1980年代あたりから編曲家の存在が徐々に注目を集めるようになります。裏を返せば、そこに職業作家たちは活路を見出したともいえるかもしれません。


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