黄ふくろう日記

大好きな事なら超続けられる…でも大好きな事は毎日入れ替わるよ♪

世の中のこと

ハロウィーンの付和雷同ぶりに呆れる

 

 昨日はハロウィーンということで、一部の人たちは盛り上がっていたようですけど、街中で暴動が起きて、警察が出動しなきゃいけないようなものをイベントとして持ち上げるのは、正直に言っていかがなものかと思いますよ。

 仮装して街へ出て、目抜き通りを闊歩するまでは百歩譲っていいでしょう。しかし、聞くところによれば、盗撮や痴漢行為を働いたり、店の商品を盗んだり、店舗の一部を壊したり、橋の上から川に飛び込んだり、やりたい放題、暴れている連中がいるわけでじゃないですか。あんなの、イベントだからといって放っておいたらイカンと思うわけです。

 それにハロウィーンなんて、おそらく日本人として普通に生活していたら、何の縁もゆかりもないものでしょう。そうであるにもかかわらず、みんなが騒いでいるから自分も騒ぐという付和雷同、この上ない、没個性的な発想の貧困さは一体、何なんでしょうか。

 ゆとり教育の目的は、学生が各々の個性を伸ばして生きる力を身に付けることにあったはずなのに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を地で行く光景がテレビ画面に映ると、こういうところでもゆとり教育の失敗を垣間見ることができるなぁと、妙にしみじみしてしまいます。

 ぼちぼち誰かがきちんと叱ってやる時期だと思いますよ。警察も「DJポリス」とかぬるいことをやってないで、いざとなったら威嚇発砲したり、放水車で暴徒を制したりするくらい、高圧的な態度で臨まないと、あの連中、数に頼んでどこまでも増長しますからね。かりに警察がそうしたとしても、それほど世論は反発しないでしょう。

 もちろん、子供が幼稚園や保育園で仮装して遊んだり、商店街でそういうイベントを開いたり、企業も普段と違って一風変わった試みとして、ハロウィーンを楽しむのは何の問題もありません。日本人として何の縁もゆかりもないイベントですけど、遊びとして見る分にはやぶさかではないですし、そこまで狭量じゃありませんから。


英雄だと持ち上げるのは下心のある人間



 メディアを見ていますと、安田氏のことについて英雄か、英雄じゃないかということで、しょーもない論争が巻き起こっているみたいですね。

 まぁ、英雄だと持ち上げているのは今後、彼を利用して金儲けしようと思っている人たちでしょうから、世間の関心を引き付けるために、安田氏を英雄ということにしておきたいのでしょう。そうでなければ、彼を利用している側の人間も彼と同様、批判されることになりますからね。客寄せパンダとして使えるだけ使って、あとはポイといったところじゃないですか。

 推測するに、安田氏の身柄が解放されたのは、日本政府と武装勢力の間で何らかの取引があったというわけではなく、おそらく安田氏を拘束していた武装勢力が最近、劣勢になり、拠点を移すにあたって邪魔になったから捨てたというのが真相ではないかと思います。

 日本人ということで、人質ビジネスに手を染める武装勢力としてはカモネギに見えたでしょうけど、日本政府が身代金を払う意思がなく、安田氏の家族や支援者などもそれを払う能力がなく、結局、金にならない奴をいつまでも囲っていても意味がないと判断されて、そのまま置いていかれたのでしょう。

 映像を見る限り、やつれた様子ではないし、肌色もよく、「監禁生活は過酷だった」という言葉を裏付けるような悲壮感は今のところ、垣間見ることはできません。帰国する飛行機のなかでも記者のインタビューに気安く応じており、心身ともに健康であることがうかがえます。

 そのため、一部では自作自演ではないかとか、本当に監禁されていたのかという疑念も抱かれているようです。そこは確固たる証拠がないので何とも言えませんけど、厳しい拷問や虐待が連日、続いていたようには見えませんし、たしかに不自由なことも多かったと思いますが、監禁生活そのものはそれほど劣悪な環境ではなかったと思われます。

 安田氏の過去の言動を見ると、今回の件で同情する余地がないと言いたくなるのは分かります。実際、彼は何度も武装勢力に身柄が拘束されており、その段階でもはやプロのジャーナリストとして失格ですし、その職責もきちんと果たしていません。申し訳ないけど、騒動を起こして世間からバッシングされるユーチューバーと大差ないレベルと言われても抗弁できないでしょう。

 そういう人を英雄と持ち上げるのは、やっぱり下心がある人間のすることです。その下心に伸るか反るかは、安田氏が決めることですが、ジャーナリストとしての職業倫理をまじめに考えているなら、これまでの行為について反省の弁を述べ、その上で果たすべき役割を担うのが筋だと思いますね。


別に放っておけばいいじゃない

 


 申し訳ないけれども、サウジアラビア出身のジャーナリストが殺害された事件、そんなに世間で大騒ぎしないといけないことかと思うんです。

 ご承知のように、サウジアラビアという国は自由民主主義体制ではないわけだし、今回の事件について欧米諸国が「自由の侵害だ」と叫んでみても、そもそも政治体制がまったく異なっているんだから、サウジアラビアがそうした声に耳を傾けるはずがありません。

 いわんやアメリカ国内で、トランプ大統領にサウジへの制裁を科せとデモを行なっている人たちがいましたが、事件とまったく関係ないアメリカがここでしゃしゃり出てきたら、話がこじれるだけでしょう。

 欧米諸国が騒いでいるからといって、日本でもこの問題を大きく取り上げていますが、日本なんてアメリカ以上に今回の事件に関係していないんですから、余計なことに首を突っ込むべきではありません。それよりもアメリカがなぜ、INF条約の破棄という意思を示したのか、その理由をきちんと考えた方がいいです。

 実際、あれこれ外野が詮索したところで、何も真相は明らかになりません。現状として、とりあえずトルコ政府の捜査とサウジアラビアの説明を待つしかないわけで、もし何らかの対応が必要だとしても、それらの結果を受けてから判断しても十分、間に合うでしょう。

 そういうわけで現時点において、「別に放っておけばいいじゃない」というのが、今回の事件に対する印象です。ちょっと突き放しすぎかもしれませんが。


メディカル・スクールにしたらダメなの?

 医学部入試の件で世間が騒いでいますけど、女子や浪人生への冷遇は大分、前から言われていたことですよね。

 高校時代、医学部を目指している友人がいて、その友人が見せてくれた受験情報誌のなかに、某国立大学医学部は浪人生に不利とか女子枠があるとかいう話が載っていたことを記憶しています。「えー、浪人したら点数がつかないなんてひどいなぁ」と思ったもんです。なぜなら予備校に行くと、そういうことを知らずに医学部を目指して浪人を重ねている人が結構、いましたからね。あの人たち、無事に医学部に行けたのでしょうか。

 ただ、そういう差別的な入試を行なっている事情も分からなくもありません。他の学部と違って医学部は実質上、メディカル・スクールであり、専門職大学みたいなもんですからね。実際、医学部を卒業した後、ほとんどの人は医者になるわけでしょう。医学部卒で普通のサラリーマンになっている人がいたとしたら、むしろ、何か不祥事でもやらかして医学界から追放されたのかという疑いをもって見てしまいますね。

 当然、医学界全体の労働市場をマネージメントする立場から考えると、医者の教育・育成にかかる時間的・経済的な問題や実働期間、専門科の人員配分、年齢構成、男女比など、総合的に判断して入試段階から必要な人材を調達できるような仕組みにしておこうとするでしょう。そういう意味で、実働期間が少なくなる浪人生や専門科の選択に偏向が見られる女子への扱いが悪くなるのは、理由がないわけではないということです。

 だからいっそのこと、大学医学部もロースクールと同じように、メディカル・スクールになって名実ともに専門職大学としてやっていった方がいいのではないかと思うんですね。そういうふうに割り切ってしまった方が業界の事情も反映しやすいでしょうし、余計な配慮も必要ないでしょうしね。ダメなのかなぁ。


読むに値しないようなものばかり

 元AKB48の女の子が今度、小説家としてデビューするそうです。


 まぁ、いいっちゃいいんですけどね。大体、最近はめっきり小説を読むこともなくなりましたし、どういう作品が好まれているのか、興味すらありません。

 それにどうせ、あれでしょ? 描かれる世界なんて所詮、身の回りの話に尾ひれ羽ひれつけたようなもんでしょうし、おそらく心象風景もどこにでもある、誰にでも感じる、ありきたりなものばかりでしょ? 純文学系の作品なんて、いつの頃からかそんな読むに値しないようなものばかりになってしまいましたね。

 大体、吉本ばなながチヤホヤされるようになった頃くらいから、純文学は完全に読まなくなりました。昔、同級生の女の子が「これ、絶対面白いから読んでみて!」といって貸してくれたのが『TSUGUMI』で、実際に読んでみたらこれが1ミリも面白くなかった。「こんなん、ただの日記やないか……」と内心、思い、今の純文学ってこの程度かと思うと、夏目漱石や井上靖、遠藤周作あたりで育ってきた人間としては、ただただ愕然するほかなかったことを覚えています。

 しばらくして、その女の子が「どうだった?」と聞いてきたときの心苦しかったこと。でも、率直に言いましたよね、「あんなもん、ただの日記やないか、透明感のある文章じゃない、単に行間を埋める文章力がないだけや」と言ったら、何だかとても怒っちゃいまして、あぁ、感性の違いというのはやっぱりあって、それが違うと人間って分かり合えないんだなぁとそのとき、気づきましたね。実里ちゃん、今にして思うと可愛い子だったなぁ。きっと気に入ってくれると思って勧めてくれたのに、悪いことしたなぁ。

 まぁ、実里ちゃんのことは昔の話なんで、気にしなくてもいいんですけど、ともかくそういう感じで、あの時代、椎名桜子とか何だかよく分からない作家が出てきて、ちょうどバブル経済華やかりし頃ですから、ミソもクソも何でもありだったわけです。しかし、その頃から文芸作品の力が明らかに弱くなって、今や出版社が芸能人にすがるまでに落ちぶれてしまったということなんでしょう。担当編集者の方、ご苦労さまです。


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